全国労働安全衛生センター第15回総会 | |
日時/2004年7月24日〜25日 会場/ホテルレガロ福岡 問題提起者 ![]() 「これからの労働安全衛生活動と安全センターの役割」 ![]() 「労災保険の民営化をめぐる諸問題」 ![]() 「被災者の立場からの提起(労災保険の問題点)」 全国安全センター総会は、全国からセンター関係者60名連合福岡12名・九脊連17名・その他10数名の約100名の参加で開催されました。 センター関係者は、公務災害・労災・職業病・過労死等や職場の安全衛生等に係る申請や交渉(裁判も含む)のサポートをしている(仕事)専門家で、医師・弁護士・社会保険労務士の方々も一緒に仕事をしています。 また、厚生労働省と随時、労働法・労災法などについて、交渉、提起を行っています。 今回は織田九州ブロック会長の提起文「被災者の立場からの提起」をご紹介します。 |
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被災者の立場からの提起 (社)全脊連 九州ブロック連絡協議会 会長 織田 晋平 |
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紹介にあずかりました織田です。私が全国安全センターの総会を福岡で開催することをお願いしたのは、かつて労働運動の西の拠点と言われた福岡に労働安全に関するサポートセンターがないのは非常におかしいと、28年間思い続けていたからです。九州には炭坑災害によるじん肺の人、CO中毒の人も多くいましたが、昭和20年〜30年代は炭坑事故で脊損になる人がこんなに多くいたのかと、私は九州労災病院に入院したあと(昭和51年頃)知りました。また、九州には、北九州の新日鉄はじめ重化学工業地帯がいくつもありますのでの労災事故もあります。これらの労災事故に対する労働者側の「問題意識」が、次第に希薄になっていったことを実感していたからです。退院後(昭和53年)脊損連合会を組織し、活動をはじめたのもそんな思いからです。 1.脊損とはどんな損傷か これまでの脊損連合会の活動を通じて感じていること話したいと思いますが、はじめに、脊損とはどのような損傷なのか、疾病なのか。話をしたいと思います。 脊髄損傷とはどんな損傷なのか、障害なのか、知っている方はどのくらいいますか。手をあげてみていただけますか。ほとんどいないみたいですね。私は受傷してから29年目ですが、私より10年先輩の人も今日は出席していますが、簡単に脊髄損傷についてお話しますと。脊髄とは、頭を支えている首の部分を頸椎いいます。肩から下が胸椎です。ちょうど臍の裏側あたりが胸椎12番と腰椎1番があり、腰椎は仙骨まであります。脊椎というのは一本の骨ではなく、一つひとつ重なっていて、重なった間に椎間板があって、それがあるがゆえに人間というのは、前に屈んだり、後ろに反ったりすることができるわけです。椎間板を損傷すると、腰痛ということで、皆さんも周知されているところです。 この脊椎の中に脊髄という中枢神経というのが通っていまして、この中枢神経は脳とつながっています。脳は簡単に言えばコンピューターのようなもので(実はもっと高度です)、いろんな情報を処理しているのですが、とくに運動神経をつかさどる神経や、心臓、腎臓、肝臓等のいろんな臓器や血流・末梢神経等も制御する神経なども、この中枢神経(伝導路)を通って信号が行ったり来たりしているわけです。その数はどういうものかと言うと、単純に言えば福岡県の電話回線を全部集めていくつかの束にしたみたいなものが脊髄です。ひょっとしたら、それ以上かもしれません。だから皆さんが、足に何か物を落として、あるいは何かに蹴躓いて、「痛い」という悲鳴をあげるというのは、打った瞬間に足の触覚神経(痛覚)から中枢神経を通って脳に情報が行って、それを処理して「あぃたたー」と、いう言葉が出てくる。これは、光に匹敵する早さで、常に中枢神経で信号が往復しているのです。 もう少し具体的に言うと、皆さんはトイレに行く場合、それは尿意を感じて行くわけですね。トイレに立って準備ができると、自分で今から出しますなんてことは意識しないはずです。膀胱は、小さい人でだいたい400cc、大きい人だと600〜900cc程蓄尿します。溜まったらトイレに行きたいという信号が、膀胱から脳に発せられるわけです。トイレに行って立って準備ができると、尿が溜まって膨らんでいる膀胱は、それはちょうど果物のメロンの網の目みたいに、膀胱の周りに神経が張りめぐらされていて、準備ができると同時に、(自分では意識していないけど)自然に、網目の神経が膀胱を圧縮させる働きをし、同じに蛇口が開かれるわけです。だから排尿ができるという仕組みになっているのです。それは全部、脳と中枢神経を経由し膀胱で一瞬に作動しているわけです。(脊損者は信号が送れませんので、この排泄機能が働きません) 脊損とは、外傷あるいは病気で中枢神経(脊随)が切断された状態をいうのです。その切断も束になったものが全部切断される人、半分切断される人、一部切断される人、同じ部位でも症状は違うわけですね。首の頸椎を圧迫骨折すると、だいたい手も動かなくなる重度の四肢麻痺となります。見た目では、こうやって座っていると、歩けない状態でありうることくらいはお分かりだと思うのですが、実際には内部疾患もあって、直腸障害、排泄障害(大小便機能障害)や膀胱炎・腎盂炎にかかり易い、生殖機能障害等があります、人によっては痛み、激痛があり、行動阻害要因となっています。また、脊損に特有な、特にかかり易い二次障害となる「併発疾病(脊損を起因とする疾病)」というのが、労働省が認めているものでも25疾病あります。しかし、その範疇では測れない他にも併発と考えられる疾病あるのですが、労災認定されない疾病もあるわけです。脊損を医学的・生理学的に観ると上記の機能障害となります。 いま一つ考えて頂きたい事は、車イス使用者は、障害者の代表みたいに見られますが、一般的な「障害の認識」は、この見えている部分の「形」のみを見て判断されているといえます。そこで、見えている身体の損傷・機能形態をみて、「障害」者と見てとり、自分と違うという区別を行っている。無意識的にもおこなっているわけです。あるいは同情的にみているかです。そこでの区別が「差別」につながっていることを喚起してほしいものです。また、目に見えていない「障害(疾病)」の部分があるということを知ってほしいのです。 脊損者とは、どのようにして生じるのか、ですが。今日、地下鉄で来られた方もいらっしゃると思いますが、私が入院中の昭和51年頃、福岡市の地下鉄は建設されていて、その地下鉄工事で脊損になった人がひとり入院してきました。地下鉄を通るときに(この工事は10年くらいかかっています)、この工事で労働者が何人死んで、脊損が何人生まれて、脊損以外の労災事故は何件あったのかどうかなど想像しませんよね。福岡はいまでもマンションブームで、高層のビルが建っています。こういう高層建設の中で労災事故が皆無かというと、そういうことはないですね。一般的に皆さんが、一般生活のなかでいろいろな建物に入るときに、一度だけでもいいから考えてほしいことです。少しでも、職場で「安全」について考えることを広めたいものです。脊損になる人は年間5,000人ほどといわれていいて、最近は、交通事故やスポーツで脊損になる人が増加しています。 2.「被災者」という立場 「被災者の立場からの提起」という私のレジュメと、「国際障害分類初版と国際生活機能分類」というのを資料としてお配りしてあります。 最初に「労災保険受給者数と問題点」についてですが、安全センター情報7月号10〜13頁に、労災保険の適用状況、死亡災害の発生状況等と、給付種類別の受給者数の推移が紹介されています。2002年度末の年金受給者数の合計は、219,720人となっています。22頁には2002年度分の都道府県別の同じデータが紹介されています。ご自分の居住する県の対象者について考えていただきたいのです。 現在、傷病・障害年金・遺族年金の受給を受けている人(約22万人)の中では、じん肺と脊損の人がかなりの比率を占めていることがおわかりになると思います。労災で亡くなった場合には事故を隠しにくいですので、大企業の場合などは、家族に遺族年金がわりとすんなり支払われるわけですが、末端の孫請けなどになると、事故を起こした下請会社(使用者)が逃げてしまう場合があります。そうすると手続が複雑になり簡単にいかなくなります。私どもの会員のなかでも、そういうきわどい条件で、労災保険が適用されなかった方もいます。 そういう現実的な問題が起こっているわけですが、今日は、実際に労災保険の該当者である我々の中で、法律的上の問題や手続き上の問題について提起したいと思います。 タイトルには「被災者の立場からの提起」と書かれていますが、僕の方からは「当事者の立場から」と書いていたのです。が、「被災者の立場」という言葉に、非常に違和感をもっていますが、なぜかというと、「被災=損害」という思考をしてしまいます。あるいは、企業に対して責任追及を迫ります。被災したから損害賠償を請求すればよいのかといますと、損害賠償とは、現実的には金に換算するだけなのです(換算する内容も問題)。私自身も裁判をしましたが、最終的な金額を決めるときに、結局自分の麻痺した体、例えば、足を一本いくらにいくらにするかという話にしかならないわけですよ。また、相手方の企業が持っている資本というか、支払能力に応じてしか、損害賠償は算出できないという現実もあります(本質的損害が公平でない)。裁判のなかで私も事業主に言いました。「あんたの足を一本いくらで売るか。一千万円で売るというのなら、それを買うから麻痺(オレと同じ状態になって換算しろとの意味)させてくれと。それでいいか」という極端な話をしたこともあります。やはり、そういう話にしかならないし、裁判では本当に生活の現実としての「損害=喪失」を問うことができませんでしたし、やりきれない思いでした。 もちろん損害賠償を請求する権利もあるし、請求しなければならないという生活上の経済的なこともあるわけです。もうひとつは、これはCO闘争(三井炭坑の炭塵爆発)の中でも感じていましたが、責任追求や賠償請求だけで物事が進められていいのかということです(CO特別立法の制定の意味するところです。同立法で、じん肺・脊損者も被災時の平均賃金の60%休業補償給付を基礎する給付から、20%との特別年金の給付創設され付加され、被災時の給与の平均80%が年金計算の基 礎になります)。 もう一つは、労災事故で障害(後遺症)を持って、生活していかなくてはなりません。その生活をしていく上で、どれだけの市民的な生活が保障されているかということです。現実の生活の中でお金で解決できない部分も起きます。脊損者の中には、退院後、家から一歩も出ない人がいます。また、受傷数年後に自殺者もいます。このように、障害を持つことで、その現実が受けとめられない人もいます。こうした二次障害を引き起こすことと、現実のさまざまな社会的な「障壁=阻害要因(外圧・差別)」の現実を捉え返してほしいのです。それは、個々の精神的な問題として「片付けられない」ことなのです。この問題を話せば長くなりますので、このへんでやめときます。 3.介護保障(補償)の問題点 次に介護の問題ですが、例えば、労働者災害補償保険法には「介護補償給付」というのが、平成8年に同法第19条の二に組み入れられました。それまでは労働福祉事業の恩恵的な制度として、介護給付(手当)というのがあったのです。労災の介護補償給付というのは、常時介護と随時介護という二つの区分けがあり、現行は家族の場合56,950円、友人、知人あるいはヘルパーの資格を持っている人などの、他人介護の場合は104,950円というのが、現行の介護補償給付として行われています。 「 介護労働」ということで考えると、誰が介護をしても介護の内容(質・量=時間)が変わるわけではないのですが、家族が介護すると介護補償給付が半額になっていることはちょっと符に落ちません。皆さんはどう考えますか。家族だから半分で我慢しろというのか、労災事故に起因して同じ介護労働が必要になっているのであれば、同じ金額で補償すべきだと思います。 もうひとつ、最近、国民年金や介護保険制度の問題が大きく問われていて、介護保険制度に障害者支援制度を統合するという話になっています。障害者の支援制度というのは、障害者の運動で、(まだ地域的にですけれど)、24時間の介護保障制度をかちとってきた障害者たちがいるわけです。それをベースに支援制度というのは、「当事者の自己選択と自己決定権を理念と謳い」新しい支援費制度を創設して一年です。それを、突然に介護保険に統合するというのです。 これは大きな問題なのです。細かい内容は時間関係で省きますが、ただ、例えばAさんが24時間の介護支援が必要な全身障害者である場合に、支援費の場合は24時間が保障を勝ち取った人がいます。この24時間のヘルパーの介護労働を金額にすると、最高で200万円位いかかるらしい。労災では、同じ要介護レベルの人ではやはり24時間必要なのだけれど、家族が介護する場合、5万余円しかもらえていないという矛盾が起きているわけです。他人に介護を頼んでも10万余円しか給付されない、残りは自己負担です。 支援費ができる以前はどうだったかと言うと、そうではなく、一般の障害者の介護保障はゼロに等しかったし、地域的に活動をして、一日1時間とか2時間で、週に1〜3回というホームヘルプ介護派遣制度であったのです。 他にも介護保障制度があります。レジュメに「労災の介護保障給付問題点について」ということで、1項から10項まで書いています。いろいろな介護給付制度の中には、現物支給であったり現金給付であったりします。日本で介護保障の始まりは、労災保険と原爆被災者と生活保護法の他人介護制度(市町村の福祉施策)の3つが基本とされ、同じ金額で横並びの内容になってきました。 @自賠責保険にかかる介護料の評価額(査定) A自動車事故対策センターが給付する介護料給付額 B介護保険制度における介護給付(ヘルパーの介護報酬) C「支援費制度」による介護報酬給付額(ヘルパーの介護報酬) D原爆被災者への介護給付額 E生活保護法における他人介護制度の給付額 F各種介護施設における介護従事者の給付(賃金) G民事上の損害賠償における介護料の評価(査定) H労働者災害補償保険 Iその他、国家・地方公務員災害補償法(教職員共済・船員保険法等) 一般の障害者の人たちには介護保障は皆無だった、その当時は、労災は介護手当てがもらえていいなと言われた時代が長く続いてきましたが、支援費ができたら、今度は労災の方が低くなったのです。いま、支援費を介護保険に統合するというのは、高くなりすぎた支援費をどうやって抑制するかということが、厚生労働省の戦略だと僕は思っています。以前、労災はいいなと言われていたのが、逆に低いわけですから、高くなった支援費を引き下げる材料として、労災の介護補償給付は生きている(作用)のです。 労災の人は中には、他人を雇って(介護者)も、10万円では1日数時間しか介護をみてもらえない、だから、足らない分は労災の人も支援費を使おうという単純な人たちもいるのですが、そういうことをすることによって、労災の介護補償給付を引き上げていくという「問題意識」がそこで消えてしまうことにもなります。制度は、制度間の相互関係をもって取り扱いされることに注意しなければなりません。 同じ国でありながらAとBの制度のなかで介護労働の評価の違いがあります。それは、ひとつは、介護労働に対する評価がずっと日本にはなかったのです。昭和20〜30年代までには、炭鉱の労災事故で脊損がものすごく多く生み出されたのですが、そこで、脊損の身の回りの介護をするために「付き添い制度」というものを作ったのです。家政婦協会が派遣した付き添いさんが、365日勤務するわけです。ローテーションを3人で組んで、3日に一回泊まりで、他の付き添いさんが自分のみていた人をみる。だいたい、頸損1に対して、僕みたいに手の動く脊損2、の合計3人をみるのが付き添いさんの仕事(介護)だったのです。 付き添いさんはだいたい女性です。女性労働としては、このような労働形態は労働基準法に違反していますので、ですから、付き添いさんの仕事は、労働基準法からも職業安定法からも除外する労働者として扱われていたのです。社会保険・厚生年金・雇用保険福利厚生も何もないのです。これが、1980年代になって、障害者宣言、国際婦人年、男女雇用均等法等社会的・国際的に人権保障が周知化されて、政府、厚生労働省は、こういう労働者を放置しているということは国際的な問題になるということになって、平成3年くらいから、付添婦をホームヘルパーの研修をさせて、ちゃんと職業人として位置づけるという戦略をとりはじめたわけです。そのときに、介護労働をどう評価するかということで、旧労働省は考えた時期があります。 厚生省は、各市町村でホームヘルパーを養成して、ホームヘルパー派遣事業をしていたわけです。その厚生省と労働省が考える、ホームヘルパーの身体障害者の介護労働に対する評価が、違っているのです。例えば、病院で介護をする人、施設で介護をする人、自宅で介護をする人。病院で看護士さんがする場合には「看護」という言葉を使っていましたが、介護という仕事内容は同じだけど「賃金評価」は違います。いまも、労働省・厚生省も介護労働者の介護労働を正規に評価していません。前に各種の制度紹介しましたが、制度間の整合性は全くないのです、給付(賃金)に差が生じています。 介護保険制度は、介護は、家族・身内でみることに限界(家族崩壊を招く)があるという認識から「介護の社会化(福祉保障)」するといわれ、介護労働者も新しい職業分野だということで、かなり女性の人が研修を受けて、ホームヘルパーの資格を取って、仕事を始めています。これが民営化で企業の参入を国は推奨したわけですから、いろいろな企業がやりはじめています。しかし、これも実際に経営をしていくと、ヘルパーをいかに安く使うかということでないと、利益を上げられない。それで、ヘルパーさんをパート化してしまって、社員は数人かしかいない。分刻みで仕事をさせていまして、Aさん宅からBさん宅へ行く、移動する時間は実働として計算されないとも聞きます。実働に較べて「賃金」は安いし身分の保証はないので長く続かない傾向にあります。これでは、介護の質も落ちます。 ヘルパーさんの介護労働をちゃんと評価していないところに、介護を受ける側にとっても本当に必要な介護支援が受けられない。ベルトコンベア並みに分刻みの仕事をし、介護を受ける人と提供する人の間に、人間と人間の向き合いなんて全くなくなっています。例えば、特別老人ホームだって、入るときはいろいろ甘い言葉をかけますが、実際本人が動けない状態だったとすると、朝一回、夜一回しか紙おむつを変えないところもあるそうです。(これが社会化です) 実際、要介護状態になった人たちの生活の支援・介護保障(補償)制度は、要介護状態を引き起こす原因を建前とする制度・趣旨に沿った各種の介護保障(補償)制度があります。その中のひとつに労災の介護補償給付という制度があるわけですが、非常に安く見積もられて、この介護補償給付の内訳は、「パートの時給640円位で計算して、5万円、10万円という額にした」と、当時の労働大臣が国会で答弁しています。10年経っても変わらないのです。 現在の介護保険制度・支援費制度では、パートの時給計算ではありません。介護保険制度の中のホームヘルパーの家事支援で1時間約1.500円、身体介護で約2,500円位です。労働災害の介護補償給付は、家庭内での生活のみを対象としていますので、その意味でも正しい評価になっていません。障害者になれば外出することもないと、一般的にはおもわれますけど、そんなことはありません。若い人、例えば20代で脊損になったら、もう、どうにもならないから、家の中で一生を過ごすのか?否、そうではありません。 大学在学中であれば、復学し、卒業したら就職するというプランを立てるのが、欧米では当たり前のことです。今日沖縄から来ている会員は、頸損で両上肢とも麻痺している状態ですが、彼と同じレベルの青年がカナダにいまして、彼は大学に復学して、カウンセラーの資格を取って、現在電動車イス使用しながら通勤して、病院でカウンセラーの仕事をしています(通学・介護などの支援策がある)。同じレベルの日本人は、そういうプランが立てられない。復学も就職など目指せないし、どこで生活するかということさえままなりません。家族がいて、ある程度介護体勢がある場合はいいでしょうが、しかし家族の負担は計り知れません。欧米のように、ひとりで独立して職業人になって、自立した生活をするということは日本ではできません。先ほど言いました沖縄の上里君は、沖縄の脊損連の仕事をしています、彼も脊損者のサポートをしていますがボランティアです。 なぜそうなのかであります。法律や社会福祉資源を活用しても重度の障害があると就職は難しく、非常に問題がありすぎるというのが現状です。 4.治ゆ認定と症状固定という問題点 もうひとつは、労災における、「治ゆ認定」と「症状固定」という問題です。 治ゆ認定とは何かというと、手を切断する。その傷口が治る。これ以上治療の効果がない場合に、治ゆ認定するということです。もうひとつの「症状固定」という言葉が出てくるのですが、症状固定と治ゆ認定とは、どう違うのかということです。 症状固定というのも、実は、僕はごまかしだと思うのですが、例えば、今日の資料の133頁、「意見・要望の内容」のところに、「軽度の膀胱機能不全は11級で最低ではないか」、「QOL重視の立場から外傷に係る欠損にかかわる尿失禁等を上位の級に格づけるべきである」とか、「自己導尿の程度による認定基準を設けてほしい」とか、最後には「人工透析患者の認定基準を設けてほしい」と。いわゆる症状は固定して、人工透析をすれば生活ができるので、「治ゆ」した、「症状が固定」したのだという判断で、障害年金に切り替えられるのです。 脊損の場合、先ほど併発疾病の話をしましたが、大半が自己導尿をしています。自己導尿というのは、尿道に自分でゴム管を入れて、3時間おきくらいに尿を排出するわけです。ゴム管を出し入れする際に尿道を傷つけ、菌に感染して膀胱炎を起こしやすいのです。膀胱炎が進むと、腎盂炎等を引き起こしやすいのです。また、頸損の場合には、体温調整ができないので、夏場などにはどんどん体内に熱がこもってしまうのです。普通の人は熱くなると汗をかいて体温を下げるという機能が作動するのですが、汗をかく機能がなくなっているわけですから、どんどん熱がこもる。それで体力を消耗して、違う病気にかかりやすくなるわけです。脊損で 一番多いのは、褥瘡ですね。今日13名が参加していますが、半分以上が褥瘡を持っています。だいたい脊損の70%の人がもっています。この褥瘡がまた曲者でありまして、一般的に言えば床ずれなのですが、神経が麻痺しているところが圧迫を続けると血流が止まり褥瘡になって、ちょっと火傷の状態になります。これができると、だいたい数年治りません。治らないのでそれが雑菌を養殖する、養殖場みたいになるのです。この養殖場の菌は表面だけではなく内部にも浸透します。最近は、抗生物質をたくさん使っている関係で、抗生物質に抵抗する緑のう菌やMRSA、レジオネラ菌等のいろいろな菌・ウイルスに感染し悪化します。 それが表面上の褥瘡の状態であればいいのですが、内部に深く入って内蔵や骨のどこかに菌が転移して、そこに腫瘍をつくり、脚を切断して、一命をとりとめる人もいるのです。褥瘡が進むと敗血症になって亡くなることもあります。 脊損は、だいたい受傷後、1年半位して、「症状固定」しているからとして、傷病補償年金から障害補償年金に切り替える制度になっているのです。しかし、脊損は、治ゆしたとは言い難いがたく一生病院と縁が切れないのです。「症状固定」しているというのは詭弁です。 障害補償年金に切り替えるということは、ひとつは療養補償給付を打ち切るということです。ただし、障害補償年金になっても、通常、褥瘡の治療や膀胱炎が生じたり、カテーテルをもらったり、菌を殺す薬をもらったり、排便用の下剤や浣腸液等、通常の治療、医薬品の支給は、アフターケアでしますというごまかしなのです。 ところが、障害年金受給者が、入院治療をしなければならないときに、再発認定を受けないと労災保険が使えないわけです。各都道府県に労災年金相談所というのがありますが、職員(監督署天下り先)は、「再発認定をして入院して労災保険を使うと介護補償給付が出なくなるとか、手続がややこしいからもう国民健保でした方が簡単だとか、医療費はかからないのだから」と勧誘をするわけです。 併発疾病になっている空洞症に罹り、(脊髄の骨が軽石みたいに、穴があき・麻痺は上に上がるのです)、労働省が認めている併発疾病であるにもかかわらず、国民健康保険で治療した方が簡単ですと勧めた監督署職員もいます。それだけじゃない。褥瘡治療も腎盂炎を起こしても同じです。 これはどいう問題かというと、脊損に起因する併発疾病の治療をしながら、国民健康保険で治療していると、労災のカルテに病歴が残らないことになります。つまり、この人が亡くなったときに、病歴が残っていないから、この人は、「元気だった」ということになります。脊損という業務に起因する疾病で亡くなったと言っても、治療を経過は届けていないので、「何もって、業務上と関係あるというですか」と、問われ何もいえないのです。 障害補償年金になっている人は、「あなたは一旦「治癒」し、症状固定したわけだから、再発認定か医学的な死亡原因とする「業務上に起因する疾病の証拠」を提出しなければ、労災遺族年金請求することはできません」ということになっているわけです。傷病年金と障害年金とは、そういう篩い(切り落とし)になっているのです。 障害年金を受給している人で、例えばこの人は受傷時に手術で輸血をしていて、そこでC型肝炎に感染していた。それで何年もしてから肝炎で肝臓がんが原因で亡くなったとき、その病気の経過があればいいのですが。しかし、傷害年金受給者は、「治ゆ」しているのですから、併発したという証拠を出してくれというわけです。その証拠を出さない限り、遺族年金はもらえないのです。 長い間、労災年金で生活をして、お互いに70歳くらいになっていて、奥さんは旦那が亡くなったとたん、経済的に何もない状況になってしまいます。 そういうふうにならないように、私たちはいま、自分の病歴を管理し、併発疾病に係る病気については再発認定をして治療を受けるということをすすめています。しかし、自分がその立場に立たないと、なかなかそういう問題意識は「家族」に起こらないようです。典型例が、最近続発している三菱扶桑のトラックの事故ですが、欠陥があると言われて走り続けて、炎上して事故が起こっていますよね。欠陥があることがわかっていながら、これを使っているという優柔不断性というか。先般、福井と新潟に水害があって、テレビを見ていたら、ある人がこういっていました。「主人が新聞を読みながら流された。それまでに何の避難勧告もなかっのですよ」という。避難勧告が出されないと、新聞を読みながら流されるまで、何も考えないのかという状況になっているですね。悲しいかな。 自分で自分をどう守るかという観点がない。すべてにおいて「何か?お上?」に依存していますね。それはわれわれの運動の中にもあります。運動を率先してやっている人に依存してしまうとか、だれかに依存してしまう。そういう問題がいま世の中には蔓延しているという感じがします。だから、「法律や制度」があっても、それをどう活用し、行使していくかという問題意識がない。それをどう広めるかということだと思うのです。今度の選挙で43%の人が投票に行かなかったということは、いろいろな言い分を言っていますが、基本的にはいまの体制を容認したわけです。つまり、いま、社会福祉保障の基本構造(医療・介護・年金・教育・住環境)が破綻し、これからの社会福祉保障の多くを「市場経済主義化」してしまうという改革の方向に流れているわけです。これらの情勢に無関心であるわけです。これは、自分たちの借金を子供や孫に肩代わりさせるという無責任な話でもあるわけです。 被災して重度の障害を持った旦那を、20年も30年も一生かかって介護して、亡くなった場合には、現在のところ、遺族年金が不支給になった家族に対して、「長期家族介護者援護金」ということで金、100万円が支給されます。この100万円というのは、遺族年金支給該当者がもらう葬祭料の額とほぼ同じ金額です。葬式代くらい出しましょうという話です。これは、業務上の因果関係がなく、亡くなった場合でも長期介護家族に対する補償を求める長い運動の中で制度化されたものです。当初、労働者側は対案として出したのは300万円でしたが、使用者側(経団連)が300万円は多すぎるからといって100万円になっているものです。 遺族年金を申請して監督署で却下された場合、最初に業務外であるという意見書を書く医者は、匿名で、名前を出さないでいいのです。遺族はカルテを取り寄せることもできないので、証拠資料をそろえることもできずに、医学的に疾病の経緯を吟味できません。再審査請求を申請しても家族が病歴を記録していない限り、不充分に終わります。再審査でも却下されたら、中央の労働保険審査会に再々審査請求をします。中央審査会で却下されてはじめて、民事裁判ができることになります。これでだいたい長い人だと10年かかる。短い人でも4〜6年位かかります。遺族年金を請求する人は高齢者が多いから、5〜6年で亡くなってしまう場合もあります。その途中であきらめてしまう場合もあります。(論証提出が難しくなり) だからいまの労災保険制度が、被災した人にちゃんと補償する制度になっているかというと、そうではなく、労働省の審査機関の土俵上で行うのですからはじめから勝ち目はありません。そのことを今後の課題として、もっと公平な第三者機関を設けてやるようなことを考えていかねばと思います。 全国の脊損連合会というのは各都道府県に支部がありますので、全国安全センターの各地のセンターと脊損の県支部とが今後は連携をとっていただきたいのです。連合会の支部といっても法律や制度になじんでいないし、もう少し研修活動や交流を重ねていただいて、もう少し脊損連合会の会員の問題意識を向上させるために、ご協力をお願いしておきたいと思います。 時間がなくなりました。 本当は、「障害」とは何か、捉え方・考え方についてもう少し話をしたいのですが、時間がありません。資料としてお配りした「国際障害分類初版と国際生活機能分類」というのは、これは国連の世界保健機関の中で、新しい障害の捉え方・考え方みたいなものが提起されているのを、リハビリテーションの医師が解説をしたものです、ぜひ目を通していただきたいのです。 私のレジュメの二項に、「障害」者は歴史的には、どんな存在であったのか」ということを含めて、一応年代順に障害者のおかれている状況みたいなものを、メモしてありますので、そのメモの中から、もう一度歴史的な意味を喚起していただいて、できれば地域の障害者の人たちと意見交換をする機会をぜひ作ってほしいと思っています。 「障害」者の問題とは、本来、「障害」を持つ人々の市民生活をある環境に押し込み、本来の社会活動の本流から(経済・政治・文化)除外してきたことが問題であります。つまり、それは市民社会活動において「区別し・差別」を生み出しているのは、障害をもたない人々の文化であり、価値観に裏打ちされているのですから、改善しなければならないのは「障害」当事者ではないということです。このような話をしたかったのですが、 本当はあと1時間位を予定していたのですが、次の機会に託し、残念でなりませんが終わりたいと思います。 |
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レジュメ | |
「障害」者は歴史的には、どんな存在であったのか。 歴史的に観ると・・・ ![]() スパルタ(紀元前九〜八世紀)においては、新生児を長老が検査して、市民権を与えるかどうかを決定し、与えられない場合(身体に問題がある)は谷に遺棄した。 ○ローマ時代、生まれた赤ん坊を長老が、身体を観て不具があれば将来戦士になれないとして川に流した。 ![]() 古事記には、イザナギノミコト・イザナミノミコトの間に生まれた「蛭子」は三歳になっても歩けなかったので葦の船に乗せて流した。との記載がある。 イ.奈良時代の僧侶行基(ぎょうき)は「親の因果は子に報い」「前世の因縁」を説き、信者に「障害」児を川に捨てるように指示する。 ロ.貴族文化の最盛期、平安時代、三条天皇が病気で失明・仁明天皇の第四皇子の人康親王(さねやす)視覚障害あった、盲人の保護政策をとる。 ハ.鎌倉時代・・・足利尊氏政権では、遺族の明石検校(あかいしけんぎょう・盲人)も政権の座にあり、盲人に対する施策をします。琵琶法師―津軽三味線 ニ.江戸時代の寺子屋には、3000人中266名が何らかの障害をもつものが在籍していたと記録がある。政権が安定していた時代 ※その時代時代において、『「障害」者の実態は史実、演劇、文学の等において否定されたり、風刺(笑い者として貶まれたりした)、邪魔者扱いされている。』(以上は、逆光の中の障害者たち・後藤康彦著より) ※社会に余力が出てくると、慈善の対象としての処遇・一般の社会人より劣った処遇。共同社会の一員としての扱いではなかった。 ![]() @1874年(明治7年) 救貧施策 A1879年(明治11年)盲唖医院開設(世界では1785年) B1881年(明治13年)東京訓盲院開 明治維新江藤新平憲法・民法・司法制度・教育制度(人権・社会的な弱者救済)小学制度を設ける。数種類に区別される。 貧困者や障害者の救済に苦心したという。が、学校は、「尋常小学女児小学・部落小学貧人小学・小学私塾幼稚、小学・なり、その他、廃人学校あるべし」とある。 ![]() 富国強兵政策・・・兵隊として国への奉仕 労働力としての評価(健康な肉体) 競遊会―運動会―ラジオ体操・・・敏速に動く体を養う。 富国強兵制度で障害者は、ごくつぶし・非国民といわれる時代。 明治・大正・昭和初期のうまれ 戦前・戦後の福祉政策の根幹及び「障害」の発生と要因と経緯(概略) ![]() 出産時におけるトラブル・幼児期の疾病・疾病・戦争における負傷者。昭和10年、日本民族衛生協会・第5回学術学会は断種法の制定を促進します。昭和15年「国民優生法」制定。23年には「優生保護法」に変わります。その第一条は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とされています。 ![]() (1)戦後の復興ということで、重化学工業化に邁進します。その結果、労働災害・公害・薬害の大増加(炭坑事故増加)脊損者多発。 国際的施策の経緯を含めて この同じ年の1948年に国連は「人権に関する世界宣言」します。 49年(昭和24)年身体障害者福祉法が制定されます。が、法の性格めぐって、「保護」にするか。「更生」にするのか。「保護」とするのか議論になり、その結果、更正法を基本とし、その更正において必要な限度において「保護」することになります。この法は、「欠損部分を補充する装具などを交付し、職業訓練等で職業につくことが前提となっています。」その後、数回にわたり改正されます。 注・何故・・「更正」なのかである。当時の「障害」者の捉え方である。 50年・第11回国連社会経済理事会で「身体障害者の社会リハビリテーション」の決議。53年世界障害者関係団体協議会(CWOIH)結成。55年「障害者の職業リハビリテーションに関する勧告。 60年「精神薄弱者福祉法」公布。デンマーク59年法制定、バンク・ミケルセンの唱えたノーマライゼーションの理念がきちょうとなった。60年第1回パラリンピック(ローマ)。62年サリドマイド薬禍報告により薬剤販売禁止。64年アメリカ「公民権法」の制定。(アメリカの障害者は、公民権運動に触発されて「自立生活運動(IL運動)」をはじめた。68〜70年代・当時までは大量施設隔離政策であった。) (2)第三期・1965年代(昭和40年)・エネルギー革命後の列島改造時代・建設労働者(脊損が多く生み出される)・交通戦争(交通公害・ぜんそく等)。 68年児童権利憲章・精神薄弱者の一般的及び特別の権利に関する宣言(エルサレム宣言)。69年国際シンボルマーク及びリハビリテーション10年(70〜80年)採択。71年第26回国連総会「知的障害者の権利宣言」。「知的障害者の権利宣言」。74年国連障害者生活環境専門家会議・バリアフリーデザイン(建築に障壁のない設計)報告書をまとめる。 (3)第四期・1975年代・自動車社会による交通災害増加し、脊損者も増加する(通勤災害)・スポーツ事故・難病・心の病気(統合失調症=精神分裂症)・労働災害・天災。 75年第30回国連総会「障害者の権利宣言」。アメリカ「全障害者児教育法」・ドイツ「障害者社会保健法」・フランス「障害者基本法」制定。 国連の「国際婦人年」76年「国際障害者年(81年)」決議。 ※社会の変化=生産手段(重工業・科学工業化)・消費の変化=生活用式の変化、食・食品・農業生産・農薬などの科学物質の生産・環境破壊公害等による、「障害」者の生産であり、戦争による「障害」者の再生産である。これは、人為的なことであるということに注意しなければならないということです。人間は、生まれてから「生病老死」までの過程を辿りながら生きていくものであると言われています。病と老の間に「障碍(障害)」を加えておくべきとも考えます。 |
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